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鶴岡灯油裁判のあゆみ

2011.09.27


               
             DVD「消費者の権利確立をめざして」~鶴岡灯油裁判の記録~をごらんください
 
1.1973年の物不足パニック・狂乱物価の中で、灯油が町から消える
1973年3月季節はずれの吹雪が吹き荒れる中、突然、灯油が町から消えました。鶴岡生協には取引先からわずか1日分しか供給できないという通告がありました。少しでも多くの組合員で分け合うために、鶴岡生協では灯油の配達量を1日10リットルに切り替えました。組合員は灯油を一升瓶で分け合うなど、互いにたすけ合いながら寒さをしのぎました。
灯油不足は鶴岡だけのことではありませんでした。北海道や東北各地でもおなじような事態が続いておこりました。家庭用エネルギーを全面的に灯油に頼るようになっていた北国の多くの世帯で、灯油は米よりも大事な「いのちの糧」でした。
灯油価格は値上がりを続け、夏になっても下がらず、18リットル一缶280円から450円にまで跳ね上がりました。灯油不足は関東でも深刻になっていき、灯油だけでなくトイレットペーパー、砂糖、洗剤などの品不足、値上がりが続き、全国で物不足パニック、狂乱物価の状態が起きました。

2.組合員の生協への信頼をもとに損害賠償請求の裁判に立ち上がる
1974年1月の国会で石油業界が独禁法違反のヤミカルテルを行い、「千載一遇のチャンス」とばかりに大規模な供給操作と便乗値上げをしたことが暴露されました。消費者がさんざん苦しめられ、生命が縮む思いをした灯油不足、値上がりが業界ぐるみのヤミカルテルによって引き起こされたものであることを知ったとき、私たちの怒りは爆発したのです。鶴岡生協・川崎生協(現コープかながわ)・主婦連の組合員が裁判に立ちあがりました。
鶴岡生協が裁判を起こすことができたのは、理事会が組合員を信頼し、組合員のエネルギーを十二分に引き出す生協運営をすすめてきたからでした。当初裁判の原告になってくれる人は200人くらいかと予想していましたが、実際には合計1,654名が原告となり、石油元売12社と石油連盟を相手取って提訴しました。同日に、いっしょに闘った川崎生協と主婦連は独占禁止法にもとづいて東京高等裁判所に提訴しましたが、鶴岡生協は、地元で組合員が裁判に参加できるようにと、民法709条により、独禁法違反のヤミカルテルによる損害賠償を求めました。損害賠償の請求総額は3,895,458円、一人当たり平均2,355円でした。

3.学習を繰り返しながらの手づくり裁判の運動
支援傍聴のため、裁判所に初めて足を運んだ原告や全国の生協・消費者団体の人たちは、「正面玄関から出入りしてはいけない」、「メモとってはいけない」、「足を組むな」、「法廷では笑うな」、「プリント文字のTシャツ着用では傍聴できない」など現在では考えられない規制を経験しました。挙句の果てに「大衆(傍聴者)は暴徒」と発言する裁判官もいましたが,原告は粘り強く裁判所と交渉を重ね、傍聴席を増やすこと、メモをとらせること、速記官を配置すること、表玄関から入ること等を次々と実現しました。
灯油裁判の中で、原告は、公正取引委員会の告発を受けて東京高検が石油連盟と元売12社を起訴したヤミカルテル刑事事件の証拠として元売各社から押収した書類や,元売会社の幹部たちの供述調書を東京高等裁判所から取り寄せました。その中には「小鳥のマーク」(公正取引委員会に注意せよという意味)や「読後必破棄」などの記載があり、用意周到に違法であることを知りながらヤミカルテルをしたことが明らかになりました。
原告・弁護士・支援傍聴者は、裁判がある度に事前学習と終わったあとの会議をもち、感想を出し合い、今後のすすめ方をみんなで協議し、協同して手づくりの裁判をすすめました。班会・理事会・総代会でも繰り返し、学習を積み重ねていき、それは灯油裁判を風化させず、長い裁判闘争に立ち向かう大きな力となりました。

4.一審不当判決に対して99%の原告が控訴
一審判決直前の1980年12月5日、日本生協連をはじめ、全国の生協・消費者団体・労働団体や地元の友誼団体などの支援の下に開催した「消費者の権利確立」をめざす集会は3,500人の大集会となりました。
しかし、第一審は1981年3月31日に原告の請求を認めない「不当判決」を言い渡しました。鶴岡生協は、2週間の控訴期間内に1654名の原告全員に「控訴」の意思を直接確認する運動に取り組みました。第一審判決までの間に死亡した原告37名の家族を含め、実に99%1634名もの原告が控訴しました。

5.二審逆転勝利判決(仙台高裁秋田支部)
第二審の仙台高裁秋田支部での裁判では、一審判決が原告の請求を認めない理由として挙げた「小売店の仕入れ価格の上昇が小売価格の上昇をもたらしたことを消費者が立証しなければならない」に対して、「小売店の仕入れ価格が企業秘密であり,消費者に立証責任をおわせるのは誤っている」ことを証明しました。原告自身が灯油を購入した35店もの小売店やガソリンスタンドにアンケート用紙を持って仕入価格を聞きに回り、大部分の店から回答を断られたことによって、「消費者が小売店の仕入価格を知る立場にいない」ことを証明したのです。
また、一審判決の「灯油不足は日本海のシケの影響で酒田港に灯油が入らなかったため」という判断が誤りであることを証明するため、酒田港湾事務所で定期連絡船「とびしま丸」の運行状況を調査し、測候所を訪れて当時の天候が例年と比べて特段の悪天候でなく、シケの影響がなかったことを証明しました。更に、ヤミカルテルによって消費者が被った損害額の算定や公正取引委員会のヤミカルテル認定の調査方法などについて、卸売業者・小売業者・学者・研究者などからも貴重な証言をしてもらうことができました。
ついに長年の原告側の苦労が実り、仙台高裁秋田支部は石油連盟以外の被告元売会社に対して、原告の主張をほぼ認め、一審判決を覆して原告勝訴の判決を出しました。

6.最高裁不当判決とその後
しかし、石油業界はすぐに最高裁判所に上告し、原告も石油連盟を被告として上告しました。
1989年12月8日の最高裁判決は消費者にできるはずもない立証の責任を負わせ、原告の請求をすべて認めないという全く不当なものでした。
最高裁の判決に対しては各新聞の論説をはじめ、多くの学者からも批判の声があがりました。
その後、「損害額の立証が困難であるときは、裁判官が相当な損害額を決めることができる」という民事訴訟法248条の規定ができて、原告の主張は実を結びました。
15年間のとりくみの中で原告は全国約120ヶ所の生協・消費者団体の学習会に出かけ、延べ27,000名の消費者・組合員に支援を訴えました。
灯油裁判に参加した原告は、「人生の中で人間としての誇りと幸福を手にすることができた」と実感しています。

7.鶴岡灯油裁判の成果
私たちが鶴岡灯油裁判から得たものは以下のとおりです。
①  企業犯罪に泣き寝入りしないで、消費者が権利主体として闘った裁判でした。
②  灯油の価格形成、業界の体質を知ることができました。
③  裁判のすすめ方に民主主義を貫き、消費者の権利実現にとって生協がかけがえのない存在であることを明らかにしました。
④  「生協とはなにか」を組合員が学ぶ、一大学習運動の場となりました。
⑤  鶴岡灯油裁判を通して生協共立社の協同と運動が広がり、前進しました。
⑥灯油裁判の教訓はくらしの要求を解決するための重要な宝庫になっています。

8.鶴岡灯油裁判資料室のご案内
2010年10月に鶴岡灯油裁判資料室がオープンしました。皆様の来室をお待ちしております。
問合先:山形県鶴岡市宝田1-3-23 生活協同組合共立社本部 TEL 0235-22-5110

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