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【平和の活動】🎵被爆ピアノ平和コンサートin鶴岡こぴあ♪

2022.10.19

【活動報告】
♬被爆ピアノ平和コンサートin鶴岡こぴあ



10月3日(月)鶴岡協同の家こぴあを会場に、
「♪被爆ピアノ平和コンサートin鶴岡こぴあ」を開催し、100名を超える方が来場しました😊



被爆ピアノとは、原爆投下時1945年8月6日広島、8月9日長崎で爆心地より約3㌔以内で
原爆の爆風、熱線、放射能等の被害を受けたピアノのこと。

広島でピアノ調律師として約50年ピアノ修理をしている矢川さん(被爆2世)は、
1998年、被爆者より1台の被爆ピアノを託されたことをきっかけに、
自分が出来る平和活動として、2001年より被爆ピアノ全国巡演コンサートを開始しました。

この被爆ピアノが、矢川さんと一緒に鶴岡こぴあにやってきました。




ピアノの搬入の様子
ピアノの搬入の様子

コンサートは2部構成で行いました。

第1部では、今年の夏の平和のつどいの際、ヒロシマでの被爆体験をお話いただいた鶴岡在住の洋画家 三浦恒祺さんの長女の滝沢佳奈子さんに、お父さんが描いた月山の絵をイメージして作曲したという
「組曲 月山」を弾いていただきました。

また、ピアノの背景で映し出されるのは、お父さんである三浦さんが描いた、
春夏秋冬の月山の絵。

そして、ナレーションはお孫さんが担いました。

庄内から見る四季の月山と共に優しく奏でられる、被爆ピアノの荘厳な音色は、
聞く人たちの心に深く深く染み込んで入ったのでした・・・。


会場のこぴあ2階への階段には手作りの大きな看板を設置しました
会場のこぴあ2階への階段には手作りの大きな看板を設置しました

演奏が終わると、滝沢さんは
「77年前に広島で被爆した父が、今まで生きたからこそみんなでこの場にいることが出来ます。
継がれた命に感謝します」

と話し、三浦さんのひ孫 はるき君2歳から三浦さんへ花束が手渡されました。
親子4世代に渡る感動的なコンサートには会場から大きな拍手が贈られました。

次のコンサートまでの間、
ご自身の活動を平和の種まきになぞらえ、被爆ピアノを自前のトラックに積み込み、全国をまわっている調律師の矢川さんからお話をいただきました。

「原爆は、人間だけではなく全てのものを破壊します。

ピアノも同じように被爆しました。

再び音を奏でる事が出来るようになったピアノの音色には、ヒロシマの被爆者の平和を祈る
切なる願いがこめられています。」

この日、こぴあに来た小さなアップライトピアノ。

このピアノが、矢川さんのもとへ託された日の事も語られました。




演奏を終えて挨拶する滝沢佳奈子さん
演奏を終えて挨拶する滝沢佳奈子さん

持ち主の方は、現在95歳。
たくさんのことを忘れるようになってしまいました。

何年も前に矢川さんがこの方のお宅にピアノを取りに伺った際、
「お願いですから、持って行かないでください・・・」
と、号泣されたそうです。

そして、
「被爆者の涙をわすれることが出来ない」
と話しました。





調律師の矢川さん
調律師の矢川さん

現在、被爆ピアノとされるものは全部で12台あるそうです。

その内の7台を矢川さんが所有・管理しており、
他のピアノは広島市の原爆資料館の地下室で、未だにガラスが突き刺さり、ぐちゃぐちゃに壊れたまま保管されているそうです。

近藤阿由良さんと会場の皆さん
近藤阿由良さんと会場の皆さん

第2部では、
山形被爆ピアノ平和コンサート実行委員でもあり、
ボランティアで学校等での演奏を多く務められている近藤阿由良さんによる演奏が行われました。

アベマリアやイマジンなどを演奏する中で、
被爆ピアノとの出会い、昨年訪ねた広島の原爆資料館で知ったことを
声を詰まらせながら教えてくださいました。




77年前人類史上初めて生身の人間に使われた大量破壊兵器原爆による惨禍をくぐりぬけ、
傷だらけになりながらも矢川さんの手によってよみがえった”被爆ピアノ”。


この音色を聴きながら会場の皆さんは平和への想いを強くされたことと思います。

矢川さんの平和の種まきは、その音色を聴いた人たちの心の中で確実に芽を出し、
平和な世界へと継がれていくはずです。

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